田中 なつき
1988年生まれ 埼玉県在住
娘と息子の母親
子育てをしながら、メンタルコーチとして活動をしています。
恩人とも言えるメンタルコーチとの出会いが、私の人生を180度変えてくれました。
人生のどん底を経験したからこそ、どんなプロセスを経て人は立ち上がれるのかを身を持って経験しました。
私の経験が、きっと誰かの役に立つ。
もっと自由に、もっと軽やかに、自分らしく生きるためのメンタルコーチングをしています。
メンタルコーチングに出会うまでの私
常に完璧主義で家事も仕事もいつも完璧であるように、自分を追い込む性格でした。
短大を卒業し、ホテルに就職。結婚パーティやイベント企画運営などに携わり、仕事が面白くなってきた矢先、予期せぬ妊娠が発覚。仕事はまだ続けたかったのですが、出産を決意し会社を退職しました。
主人も私もまだ若く、1日1日の生活に必死の毎日でした。主人の父親としての愛情は、仕事に打ち込むことで家族を養うことだったのですが、ヘトヘトになるまで働いて帰ってくると、子どもを可愛がる余裕もなく、子育ての悩みや相談を一緒に解決すると言った私の理想とは程遠い毎日でした。そんな状態が続くと、独りぼっちで子育てをしているようで、どんどん孤独を感じるようになりました。
追い打ちをかけるように、認知症の祖母との同居、その世話の大変さからどんどん心が疲弊していきました。
そんな中、二人目を出産。息子は、先天性の心疾患を持って生まれてきました。
不安や心配は増える一方、一番頼りたかった主人に頼ることができず関係は悪化していきました。
そんな私を見かねて、母がメンタルコーチを紹介してくれたことが、私のターニングポイントとなったのです!
コーチングを受ける中で、自分がどれほどまでに辛く、我慢をして、癒しを求めていたのかに気づきました。
本当の自分の気持ちに気づくことで、涙が癒しに変わり、どんな自分も受け入れられるようになりました。
その様子は、顔つきまで変え、今まで制限をかけてできなかった事を、どんどんチャレンジできるまでに変化させていきました。
現在は、今までの経験を活かし、理論と実践で変化を促す手法でメンタルコーチとして活動。
経営者から主婦まで幅広い層の悩みに向き合い寄り添っています。
将来は、海と山に囲まれた自然のある場所に拠点を構え、コーチやクライアントが共に悩みを共有できるスペースをつくることを目標としています。クライアント同士、コーチ同士が共にチームとして関係を築いていける!そんな自由な空間でノビノビと仕事もプライベートも私らしく楽しみたいと考えています。
《My Story》
人は一人では生きていけない。
どんな時でも、心許せる人が一人でもいたら、力強く前を向いて歩いていけるようになる。
それは、私が歩んできた経験が証明し、一生モノの価値ある私の財産となりました。
高校時代の経験
高校時代、何も経験のない部活を、仲間とともにゼロから立ち上げました。
私が入った部活は、チア同好会。
面白そうという思いだけで入部してみましたが、チア同好会とは名前だけが存在し、先輩はおらず、顧問の先生はとりあえず担当になっている、おじさん先生(笑)。
そんな部に、私と同じように面白そうと思った部員が集まりました。
教えてくれるコーチがいるわけでもない。毎日、部員で集まり意見を出し合い練習を続けました。
経験もないチア部が、運動場の一部を使い練習をしている・・・
私たちの活動が全く理解されない中で、他の運動部からの反感は強いものでした。
一生懸命やっているのに認めてもらえない悔しさがある一方で、仲間と一緒にそんな反感でさえ笑い飛ばし、
ただただ、夢中にチアの練習する毎日が、今の私をつくっていると言っても過言ではありません。
1年目は、全く理解されなかったチア部でしたが、2年目に入ると後輩が入り、少しずつチアの活動が広まってきました。
ユニホームができ、反感の強かった野球部の応援に行けるようになり、その後の野球部は、ベスト8に進出するほどの好成績を上げるようになりました。「チアの応援があったからここまでこれた!」と言われた時は、本当に嬉しかったのを覚えています。
やりたい思いに純粋に立ち向かい、仲間と一緒に乗り越える。
このかけがえのない経験は、私の今を支える貴重な経験の一つとなっています。
突然の妊娠
短大を卒業し、ホテルに就職しました。
できたばかりの3年目のホテルには、ウェディング事業部はなかったのですが、どうしてもこのホテルでウェディングをやりたいという思いが沸き上がりました。
新人ではありましたが、自分のやりたい気持ちに忠実に動くことに迷いはなく、企画書を出し上司に掛け合いました。
ウェディング以外にも、3周年を記念とした宿泊客へのイベント企画運営を成功させるなど、着実に経験を積み、仕事が面白くなってきた矢先に、予期せぬ妊娠が発覚。やりたい事を山のように抱えながらも、会社を退職しました。
当時、20歳 主人は私より2つ年上で会社に入ったばかり、私たちはとても若かく無知でした。
お互い会社の寮に住んでいたので、結婚してすぐ私の実家での生活が始まりました。
子どもが生まれて一か月で重度の乳腺炎になり切開。痛い思いをしながら、手探りで子育てをしていると、
たった一人で子育てをしているような寂しさを感じました。
主人は、早く一人前に稼がなきゃという思いが強く、必死で働いてくれました。それは彼なりの私たちへの愛情だったのですが、疲れてヘトヘトになるまで働いて帰ってくると、子どもを可愛がる余裕はありませんでした。
そんな主人の様子を見ると、私はどんどん孤独を感じ寂しかった。
子育てが全く楽しくない。子どもの成長を一緒に喜びあえる人がいない。子育ての大変さを一人で乗り越えている寂しさは日に日に増し、それと同時にもっと働きたかった・・・と後悔の思いが溢れてくるのを必死でかき消す毎日は本当に辛い日々でした。
現状に不満を抱きながらもやり過ごす日々に、追い打ちをかけるように、認知症の祖母と同居することとなり、子育てと祖母の世話で、私の精神は疲弊していきました。
そんな中、2人目の子どもを出産したのですが、息子は先天性の心疾患を持って生まれてきました。
何をやってもスムーズにいかない。いつも何かに困り果てている。
主人との価値観のズレは、年月が経つにつれて広がっていきましたが、私に話し合う余裕はありませんでした。
夫婦喧嘩が増えるようになり、そんな私たちの姿を子どもが見るようになってしまい、もう限界だと思いました。
そんな時、私の様子を見かねた母が、フリーで活動しているメンタルコーチを紹介してくれ、私の人生は180度変わることになりました!
メンタルコーチとの出会いで人生が変わった
その出会いは、八方塞がりになり、身動きが取れない私を解放してくれました。
無意識レベルで自分に制限をかけている思い込みに気づかせてくれ、行動を阻む思考のクセを直す手助けをしてくれました。
コーチの質問から自分の中にある思い込みに気づく。感情のパターンを知り、無意識を意識に変える訓練をする。
それは、長年親や周りの人からの影響で刷り込まれてきた価値観や思い込みを変える地道な作業です。
一人では到底太刀打ちできない、大きな壁を一緒に乗り越えて行く時間は、高校時代に部活で感じた一体感と似たものを感じ、嬉しい時間となりました。
私は、恩人ともいえるこのコーチとの出会いで、見えている現実が大きく変わり、日常のほんの些細なことでさえ、幸せを感じる心を取り戻すことかできるようになったのです。
人は一人では生きられない。私はこの10年間で身を持って経験しました。
誰かのチカラを借りることは決して悪いことではありません。私は今、メンタルコーチとして、私と同じように悩みを抱えている人に寄り添い、相談者の本当の想いに気づくサポートを行っています。
私との時間は、人生の中でほんの一コマかもしれません。ですが、私を信じて、その時間を自分と向き合う貴重な時間として預けてくれたなら、私はチームとして全力でサポートしたいと思い活動をしています。
ロゴマーク【B.f】
Free like a bird=鳥のように自由に
自然に飛び交う自由な鳥のように
そして自ら自分に適した居場所を見つけてほしい
皆さんにとって自然な存在でいたい
そんな想いをもってコーチをしています